スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 14

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第2章 美しさ

目次

幸福とは何でしょうか?

神は実に私たち一人一人を祝福しています。

人として誕生したことじたいが、

主による大いなる祝福であり贈り物なのです。

知性と識別の力は、神があなたに与えたさらなる祝福です。

この世的な会話では、

子供に恵まれ、物質的に恵まれている人物が、

祝福されていると評されます。

 

真実のところどうなのでしょうか、

聖なる山上の説教(垂訓)のまさに最初から、

主イエスは幸福について説き明かしていて、

その内容は世間的なものと違うものでした。

それはまことの幸福についての話でした。

 

 

それは、神の御霊が人のハート(心)の内に入り、

その人がもはや世のものではなくなり、

聖なる存在に変容した状態です。

霊的な志願者は、

ありのままの自分を神によって受け入れられます。

それこそ本当の幸福です。

個(訳注 自我)は終わりを告げ、

栄光ある聖人が現れます。

それはいわば、神の御手のなかの道具になったようなものです。

それどころか、神の一部になったとも言え、

神の代理者として、神聖な人生を送り、神の意志を実行します。

それこそ本当の幸福です。

この幸福に到達した人そのものが、人類にとって祝福です。

祝福を受けるのは誰なのでしょうか?

 

 

欲望をなくすことこそ聖なる生活

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

心が貧しい者とは、

彼自身の内側のエゴを空っぽにした人のことです。

富を誇りに思い、家系を自慢し、学歴を振りかざし、

自分の知恵を頼りにする、富者には、

天の王国に住居がありません。

人々が心から誠実に求めるものは、

何であれ手に入れることができます。

しかし、人々は何を求めているのでしょうか?

人々からの賞賛、社会的地位、

この世の事柄に満ちた繁栄を手に入れようと努力しています。

ええ、それらは手に入るでしょうが、

それらの世俗的な性質は、

最終的には惨めな思いにさせるだけでしょう。

しかし、心の貧しい人々は、

この世では自分のために何も望んでいません。

貧しさは欲望を打ち砕き、静かな死をもたらします。

彼らは豊かな知恵に満ちています。

しかし、知恵が彼ら自身と一体化しているため、

それに気づいてさえいません。

 

 

もし知恵に気づいたとしても、

彼らは、それを主に帰するでしょう。

彼らは何も所有していません。

彼らには何もありません。彼らは何も望みません。

彼ら自身は独立した存在としては存在しません。

彼らは神のものなのです。

ですから神は彼らの中に住んでいます。

そして神の恵みが彼らの中を流れています。

「天の王国は彼らのものである」

この痛みと死からなる、世の事柄を放棄することによって、

なんと崇高なる報酬を彼らは得ることでしょうか!

天の王国が彼らのものになるのです。

彼らこそ天の王国の所有者であり支配者です。

そんな彼らを通して人類は救いに到達できるのです。

 

 

 

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「明日死ぬと思って生きなさい、

永遠に生きると思って学びなさい」ガンジー

 

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