黄金律
山上の垂訓は、主イエスが霊的使命のなかで唱えたように、
すべてにおいて特徴的な語調、
燃えるような知恵の言葉で終わります。
主の説教は理路整然としたものです。
真理の探求者はこの教えの神秘を受け継がなければなりません。
知恵に飢えている人は、
霊的な食物である神の知識を食さなければなりません。
「誰でも求める者は与えられるだろう・・・・
あなた方が誰であれ、
あなたの息子がパンを求めているのに、
石を与える者がいるでしょうか?」
恵み深い主は皆の祈りを聞いていて、
すべての者の敬虔な熱望を満たしてくれるのです。
それでも、選ばれた使徒たちは、
探求者の進歩の度合いと気質に適した方法で、
真理を伝えなければなりません。
正しい人生の道を、すべての人に指示しなければなりません。
人々が求めているものはどんなものであれ、
正しい方法で実現するように助けるべきです。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、
探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、
パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、
求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。
マタイ福音書7章7-12節(新共同訳)
飢えていて、肉体と魂が不安定な人に、
高等な哲学を説教するのは賢明ではありません!
正しい方法でパンを手に入れる方法を
見つけるのを助けるべきです。
時がくれば、彼は生ける神を見出すでしょう。
ここで主イエスは正しい行動の黄金律を与えています。
正義の基本原則は何ですか?
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。これこそ律法だからです。」
これは正しい行動の中でも最高の法です。
生命の神
生ける神は、
なんと簡素で、壮麗で壮大なのでしょうか!
それでも“神を見つける人はほんの僅かです”
そう主イエスは言いました。
今日、私たちの見る世界は、
救い主のこの預言的な言葉を十分に証ししています。
「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」
狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、
その道も細いことか。それを見いだす者は少ない
マタイ福音書7章13 14
この世の事柄は、
感覚の即座の満足と、肉体の心地よさを約束し、
人の本能を手中に入れて魅了します。
しかし、世の事柄は人を破滅へと導くのです。
主は彼の命の光をもって世に奉仕しましたが、
その偉大な賜物、すなわち識別をも破壊されます。
識別こそ、人と動物を区別する賜物です。
しかし、肉欲的な人生は人を動物のように退廃させています。
「あなたの中の光が暗ければ、
その暗さはどれ程のものだろうか!」
なんたる真実!
主が人に授けた識別の力が、
もし人間の動物的本能を駆り立てることに使われたなら、
感覚的な悦びへの渇望は、その人を動物よりもなお悪い、
なんと驚くべきものへと堕落させることでしょうか?
主イエスは次のように警告しています。
「誰も二人の主人に仕えることはできません。
神とマモン(富 貪欲)に同時に仕えることはできません」
マモンはた易く手に入る物質的な快楽を約束し、
人々を魅了してしまい、
破滅へと通じるブロードウェーを歩かせます。
「あなたがたは地の塩である。
だが、塩に塩気がなくなれば、
その塩は何によって塩味が付けられよう」マタイ5章13
神の王冠の創造物である人が、識別の力を失うならば、
もし神の象りで創られた人が悪の道を選ぶならば、
それは人類の文明に何をもたらすことでしょう?
(神の王冠 カッバラーの密議の奥義
アテー、対してこの地上は王国マルクトを意味する。
つまり、現代聖書では省略された、主の祈りの結び
御国と力と栄光は 世々限りなく汝のもの の言葉は、
アテー マルクト ヴェゲブラー ヴェ ゲドラー
レ オラーム アーメン
という古代密議の言葉であり、
主イエスが密議に通じていたことを示している。 訳注)
彼は全世界を破滅に導くでしょう。
神が慈悲深く溢れんばかり十分に与えた知性を、
人は破壊的行動のために使っています
人類が住むこの地球のあらゆる地で、一体どれほど多くの、
間違った道に導く指導者がいたことでしょうか!
「にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみである」
どのようにして彼らを見極められるでしょうか?
「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からブドウを、アザミからイチジクを集める者があろうか」
なんとスリリングなメッセージでしょうか!
なんとインスパイアリングさせる知恵の言葉でしょうか!
なんと明晰な指導でしょうか!
彼らの行動を観察してごらんなさい。
彼らの行動は主イエスの与えた戒律に従っているでしょうか?
彼らは主の至聖なるメッセージ、
山上の垂訓に一従っているでしょうか?
もしそうでないのなら、彼らから離れなさい。
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