スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 52

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1957  のメッセージ

キリスト霊を獲得しなければならない

19世紀と四半世紀前に、

ナザレのイエスはこう言いました。

「しかし、私は言っておく。

あなたの敵を愛し、あなたを罵る者を祝福し、

あなたを憎む者に善を行い、

あなたを苦しめ迫害する者のために祈りなさい。

天の父の子となるためである。

父は、悪しき者にも善き者の上にも陽を昇らせて、

義ある者の上にも不義な者の上にも雨を降らせるからだ。」

 

 

まことに、この教えを生きることができるのは、

超人的な霊的志願者だけと言えますが、

現在の国際関係の中で、この精神の少なくとも一部でも、

大いに理解する必要性がある時代はありません。

霊的志願者にとっての最も崇高な美徳は、

集団的な考え方や、国家的な姿勢の策定には、

実際のところ適用できないかもしれません。

しかし、イエスが自分の敵を愛するように求めたのは、

彼は自分自身の価値を下げ、人生の尊厳を捨て、

マインドと霊魂の自由、正義と真理の大切な理想を、

放棄することを仄めかしているのではなく、

すなわち、憎しみ、交戦状態、脅しあいの外交、

前提条件ありきの姿勢、独断的な圧力政治よる解決という、

世界を悩まし、なによりも悪いのは、

普通の市民に不正に侵略する、苦悩させる問題などの、

致命的な失敗という事実を強調したのです。

 

 

実際に、イエスが今日生きているならば、

善と悪、真実と非真実、正義と人間の霊の価値の低下、

民主主義と全体主義という、対立する関係性について、

いかなる公平な人々以上に、容赦ない態度をとるでしょう。

好みを易々と変えられないことは疑いようがない真実であり、

後からのものに脅かされた時に、

前からのものを維持したいと思うのは至極当たり前のことです。

しかしながら、最も広い概念における、

真理という理想、生命の尊厳、自由と公正という、

実を結ぶのは霊であり、

それらを育てようとすることが手段であり挑戦なのです。

人類に覆い被さるように迫り来る大きな問題は、

ある人々が戦争と破壊の炎を煽り立てる権利を行使する時に、

他の人々がそれに逆らう手段を正当化できるかどうか、

同時に、人の安全を脅かし、経済的幸福をいつの間にか害する、

反抗的な精神の否定的な手段を突き破って、

本質的に肯定的な理想の改革運動に加われるかなのです。

 

 

今この時にハート(心)の探求こそ、

必要とされており、求められているものは、

もう少しの善意、幾分かの協調、

調和の領域が広がり、自身の理想を失くさない適応の精神、

互いの安全への思いやり、人々への幸福への関心であり、

より良い平和への展望において、まごついてはいけません。

 

人々への物質的関心と精神的繁栄への視野を少し広げ、

問題の解決に向けた、もう少しの独創力があれば、

他者の視点に立ち理解に努めることで、

問題は健全な友好と親睦を約束できないと分かるでしょう。

真実と愛と、人間の精神の自由という理想が、

当然の勝利を得るとの信念を持ち続け、

共存のためには必然の和解を受け入れる、

強さと成功の意志があれば、

実質的な公共の利益に貢献することができるのです。

イエス・キリストの教えが、皆様の人生を導きますように!

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