今回も ものすごく時間がかかってしまいました
30代まではSRFを中心に ヨガナンダ先生の教えを研究していましたが
30代以降はシヴァーナンダ先生の教えを学び
TTCとATTCを卒業しました
もちろんヴェーダの世界がそれで学び終わるわけではありません
以前からのシャンチャリヤのブラフマスートラも合わせて
研究を進めてきましたが
今回 シヴァーナンダ先生の弟子とも言われるチダーナンダジ
そしてクリシュナナンダジの著作などを翻訳してみて
あまりにもヴェーダの理解が深くて驚愕しました
その英語の文章を 日本語にする過程で
あまりのストレスで しばらく PCを開けることもできなかったわけです
なぜなら 文意はもちろん 日本語にするときに
適切な言葉を探すのに 2〜3行で2時間や1日かかることもあるからです。
ですから 翻訳をお待ちいただいている方々にいは 大変お待たせしました
あともう少しで 翻訳が終わりますので(この本に関しては)
よろしくお願いいたします。
キリストの聖なる生涯
スワミ・チダナンダ
世の光よ、私の心は汝をお慕いします!
主よ、全くの謙虚さを持って、
幾たびも幾たびもあなたを伏し拝みます!
栄光が世々限りなく汝のものでありますように!
キリストである主イエスは存在します。
今ここにいるのです!
キリストは永遠なる存在だからです。
主は言葉によってではなく、
栄光ある復活によって、この真実を世に宣言しました。
それでは、どこを探して彼を見つけられるのでしょうか?
主は美徳と善意があるところにおられます。
神聖な愛、純潔、真実、聖性、祈り、
絶え間ない奉仕と完全な自我の放棄の中に主は鎮座しています。
信仰、献身、謙虚さ、心を鎮めて神の意志への忍従、
憐れみと、正義への紛うことなき渇望、
これらによって光り輝くハート(心)の内にキリストは存在し、
煌めき、生命を燃やし、輝かしく顕現されるのです。
ああ、愛すべき兄弟たちよ!
イエス様のようになりなさい。
そうすれば、自身のうちにキリストを見つけるでしょう。
キリストが私たち一人一人のうちに生きるべきです。
主の存在も行いも過去のものではなく、
私たち自身を通してこそ、主の人生もその業も
本質(ブラフマン 訳注)へと捧げられ、
栄光あるものとなります。
この重要な霊の王国の法を、
明白な言葉で世に知らしめた、偉大な魂たちのなかに、
トマス・ア・ケンピスがいます。
(トマス・ア・ケンピス:
ドイツのケンペンの生まれ。
「キリストに倣いて」の著者として有名。 訳注)
もし、あなたが光、お恵み、永遠の生命という、
天の国を手に入れたいと望むならば、
キリストに倣い、行いと人生を主に似たものとしなさい。
この点については、救い主の直接的で明確な教えの中でも、
さほど強調されてはきませんでしたので、
主ご自身の言葉から説明しましょう。
「主よ、主よ。と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、
天におられるわたしの父の御心を行なう者がはいるのです」
この聖なる父の御心(意志)が人格化し、
聖なるイエス・キリストの本質となったのです。
キリストに倣いて、キリストに従い、
キリストの想いにかたどられた者となり、
私たちの人生の行いの中で、
キリストの崇高なる訓戒の一つ一つを実行することこそ、
天の父の御心を行う、最も完全で有効な方法なのです。
あなたがキリストのものになりたい、
主の聖なる交わりの一員となりたいと、真摯に望むならば、
「神の御心を行う者が、私の兄弟、姉妹、私の母です」
と主が言われたように、
この道こそ唯一無二なのです。
私たちの内にキリストが存在し、
私たちの行いがキリストの行いとなること、
すなわち、
私たちがそれの内に存在し行動することにより、
偉大な価値、本当に意味あるもの、深い意義である、
キリストの生命がもたらされます。
神への道をどのように歩むかを教えるために、
主キリストはご自身と生涯を道として人類に捧げました。
聖なるものへと変容するための方法を、
主ご自身を通して具現化したのです。
あなたの小さい人間的な自我から上昇し、
キリスト意識へと達することは、
暗闇から永遠の光に、
そして死から、喜びに満ちた永遠の生命に入ることです。
あなたの前に、輝ける模範、
キリスト者としての理想があるならば、
「道がわからない。どの道を行けばいいのか?
道を知ってさえいれば喜んでキリストに従うのに」
などという言い訳は絶対にできないでしょう。
「わたしが道であり、真理であり、生命なのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」
キリストのこの言葉が鳴り響いているではありませんか。
はい、まことに、まことにその通りであります。
永遠の生命なる王国の扉を開ける、
唯一無二の間違いのない確実な鍵とは、
キリストの理想のうちに成長することです。
この変容をもたらすために、
私たちが主の言葉と行いから識別できるのであれば、
非常に貴重な手掛かりとなるものを、
救い主はご自身をもって私たちに与えたのです。
救い主による神殿の清めと、
(マタイ21、マルコ11、ルカ19、ヨハネ2章参照 訳注)
エリコの取税人ザアカイの家への訪問を思い起こしましょう。
(ルカによる福音書19章1~10 訳注)
主の訪問によって、ザアカイは今までの生き方を変えて、
過去の行いを償い、義人として生きる決心をしたのです。
これが教えであり、霊的変容の真の秘密です。
まず、あなたの内なる性質を徹底的に清めてください。
あなたのハートの寺院の基礎となる要素を、
すべての残酷さ、欺瞞、何でも値踏みする精神、
世俗性から浄化するのです。
ハートの寺院を神のまことの家にしましょう。
これが行われれば、あなたの人生はガラリと変わります。
心を完全に入れ替えなさい。
罪から自由となり、
永遠の生命と尽きぬ恵みを受けるに相応しい者となれば、
救いはあなたのものです。
キリストは、まさにこの霊的生活の法則について、
誠実なパリサイ人ニコデモに、サダナについて解説したのです。
それは、より完全で直接的な表現でした。
この法則について繰り返し述べましょう。
それは主が、小さな子供が来るのを許したときの言葉です。
「誰でもこの小さな子供のようにならなければ、
天の王国に入ることはできないだろう」
そうです、あなたはもう一度生まれなければなりません。
そして純粋で、無垢でエゴがない者となり、
子供のようになることが求められるのです。
そして、そうなるだけで、
光り輝く至福の王国の扉があなたに向かって開かれるでしょう。
しかし、まことの、
心からの完全な変化であることを心に留めてください。
口先だけ、表面的な振る舞いなど、
単なる外側だけの変化ではいけません。
あなたは、完全に「違う人」に「新しい人」に、
ならなければならないのです。
古い人は完全に消滅しなければなりません。
イエスご自身の素朴な人格は、崇高な子供として、
すなわち素朴で純粋、無垢でエゴがない、
父の子として象徴されています。
子は完全に父を信頼しています。
彼こそ父が「大いに喜ぶ」「愛しい息子」なのです。
彼のようになるためには、彼に従いなさい!
これはキリスト霊からの人類への召し出しなのです。
恵みに満ちた日々、ベツサイダのピリポに、
主はスリリングな2つの言葉を投げかけました。
主は今もその言葉で私たちに呼びかけておられます。
「私に 従いなさい」
従うべきです。
これは、主の生涯の細部に至るまで、表面的に従うのではなく、
主の徳、愛と憐れみ、完全な自我の消滅という、
輝ける内なる道を登っていくことを意味しています。
そうして、主に従うために自らを整えた、祝福された人々に、
主は特別な三つの戒めをもって道を指し示してくれます。
最初の戒めはこれです。
主の自由の終焉となった、悲劇的な最後の場面となる、
オリーブ山のある、運命のゲッセマネの園へ向かう途中、
パリサイ人がこう尋ねました。
「先生、律法の中で、最も大切な戒めはどれですか」
そこで主イエスから忘れられない言葉が述べられます。
「そこで、イエスは彼に言われた。
「神はただお一人です。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい」と。
さらにこうも言われました。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」
これこそ、最高のヴェーダンタ的 アートマ バーヴァ!
(マタ福音書22章34~40 訳注)
「あなたがたに新しい戒めを与えます。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」
ああ人類よ!この別れ際のイエス様の貴重な哀願に対して、
あなたがたは一体何をしてきましたか?
貴重な授かりものである崇高なキリストの愛は、
ああ人々よ、国々よ、民族たちよ、今やどこにあるのですか?
比類のない主の愛という宝が、
なんと残酷な所へと追いやられたのでしょうか。
霊的な盲目のために、致命的に受け入れてしまった、
この憎しみ、略奪という負の遺産は何処からきたのでしょうか?
貪欲で満ちた心というゴルゴタで、
ちょうど今日の世界で、
無力なエルサレムが神の愛と祝福を拒んでいるようにです。
これがこの公明正大な地上での運命というものでしょうか?
いいえ!断固としてNOです。
この世で信仰がある人たちがほんの一握りさえいれば、
ほんの僅かの人でも主に喜んで従う限り、
希望は人類の未来を明るく照らすでしょう。
彼らを通して、キリストの御霊はこの世を再び生き、
この地上を啓発してくれるでしょう。
彼らによってこの現代の真っ只中で、
キリストの霊が復活するでしょう。
信仰を持つ人々が僅かでもいれば、
人類にキリスト意識の祝福が与えられるのです。
主の教えはキリストそのものです。
主の訓戒にキリストは具現化されています。
これらの訓戒を生きる人は、彼の存在の唯一の目的である、
人生の主要な義務を果たしているのです。
キリストの人格と理想への敬愛、崇拝と賛美があるならば、
熱心さや活発の欠如、
上っ面だけの模倣などある筈がありません。
そのような偉大な人物の人生を、私たちは生きるべきです。
こうして、こうしてのみ、
あなたは自身を主の御霊で満たされるのです。
世界の人々が主の呼びかけに応え訓戒を守りますように。
一人、そしてやがて大勢の方が立ち上がり、
彼に従いますように!
よき羊飼いキリストが私たちを強めて、
暗闇と悲しみから、永遠の光、至福の永遠の世界へと、
安全に導いてくれますように!
栄光あれ、キリスト主イエスに栄光あれ。アーメン。
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