霊的志願者とキリスト
スワミ・クリシュナナンダ②
私たちはキリストの内に偉大な霊的人物と、
生涯のドラマにアディヤートミカ・サダナ、
(最高霊の霊的修行)が描かれているのを認めます。
キリストの降誕から昇天に至るまでの間、
イエス様は神の壮麗を世に示し、
この地上に神の栄光を証ししました。
霊の幼子がお生まれになる時、
闇の帝国の支配者は幼子を亡き者にしようと試みますが、
大いなる困難があっても子をお守りしなければなりません。
子が成長するならば、子それ自身がご自分を世話するでしょう。
人はおのおのが、生まれたばかりの霊的な子の親であり、
幼子が生まれた国の王、つまりエゴ(自我)の猛襲から、
子自身に身を守らせなければならないのです。
霊的意識が漸進的なステップによって出現しようとしている時に、
非霊的な力の反乱は自然と起こり避けられないものです。
火にギー(バターオイル)を注ぐと、ギーは燃え上がりますが、
燃えさかる火の上に大量のギーをさらに注ぐと、
炎は消えてしまいます。
炎が燃えさかると、その火によってギーは燃やし尽くされるのです。
同じように、霊的な炎の煌めきも、
その火が幼子の段階では、世俗的な傾向に圧倒されていますが、
霊的意識の火が燃えさかると、
世俗性と全ての悪を燃やし尽くすのです。
神秘主義の用語で「魂の暗い夜」と呼ばれるものは、
無知の暗闇の中で、意識の息が詰まりくすぶっている段階です。
スリ・クリシュナの誕生は、この同様の事柄について関係しており、
同様の事実を指し示しています。
また、バカヴァッドギータの最初の章では、
高みを目指す魂がこのような状況の中で、
落胆する様が描かれているのです。
(アルジェナが弓を投げ出して戦意を失う様のこと 訳注)
しかし、霊である自己は成功する運命にあり、
無知の根と枝を破壊するでしょう。
芽吹き始めた霊が、外なる性質の攻撃からなんとか身を守り、
肉の衣から抜け始めたとしても、
まだ霊の働きは完成されてはいません。
さらに大きな問題は、より高い自然の世界から生じます。
疑いようもなく、
物質的で粗悪な肉体の森を抜け出ることは大変な困難です。
しかし、さらに困難で危険なのは、
外へとむかおうとする宇宙的活動の枢軸である、
脈打つ精神的な性質の捉えがたい力を克服する試みです。
(人の内在するプラーナは常に外へ、下へ流れる。
この力が人を世俗的にする。
この流れを逆向きに変えるのが、プラティヤハーラである。
クリヤヨーガの科学を説明している。訳注)
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