ブラフマチャリヤについて
多くの人はこのテーマについて馴染みがないでしょう
そして興味を持たない人の方が多いでしょう。
しかしこのテーマは非常に重要です。
多くの人がクンダリニーについて学びたいと思います。
そしてそのような人の多くはサダナ(霊性修行)について
興味を持つこともありません。
ヤマ・二ヤマについて興味を持つこともありません。
しかし、
アヒンサーこそ重要であり、
ブラフマチャリヤは同じように重要です。
もし力や知識だけを求めるならば、
それは穴の空いたバケツにガソリンを入れるようなものです。
多くの人が知識でいっぱいの頭になります。
そして
ほとんど実践しません。
仮にクンダリニーが目覚めても
心が穴だらけで そしてコントロールできないなら
その人は精神に異常をきたして 精神病院に行くだけです。
しかし 正しく成長した心は 人生に幸福をもたらします。
そのような心によって自然にクンダリニーは目覚めます。
クンダリニーヨガや クリヤヨガと呼ばれているものは
心の浄化のために行うものです。
多くの人が勘違いして 知識とパワーだけを求めます。
正しい知識と経験がなければ
ヨーガの修行は 心を深い闇に落とすだけです。
ぜひ グルデブシヴァーナンダのお話を聞いてください。
心の純粋さを測るもの
若い情熱的な男性にとって、
若く美しい女性の姿を見ることは、
心を魅惑させ興奮させることでしょう。
彼女の姿が心臓を貫き、目に焼き付いて離れなくなります。
もしある人物がこのような場面でも、
いかなる動揺も無いというのなら、
それは彼がブラフマチャリヤを達成しているしるしです。
そのような人物は、
鳥や動物の交尾や、裸の女性を目にしたとしても、
いかなる動揺や興奮も感じることはありません。
ブラフマチャリ(ブラフマチャリヤの実践者)の状態は、
女性に対して湧き上がる感情からも測ることができます。
彼女の友達で居続けたいとか、
もっと彼女と冗談を言ったりして戯れたいとか、
もっと若い女性を見つめて居たいという欲求があるなら、
そこに罪深く淫らな想いがあるなら、
女性の体に触れたいと体の疼きを感じるなら、
その心の奥底には情欲がまだ潜んでいることを知るべきです。
底知れぬ性的渇望があるのです。
この情欲は破壊されなければなりません。
古狸の泥棒はまだ隠れているのです。
そのようなブラフマチャリは自分の心に注意すべきです。
彼はまだ危険地帯にいるのです。
彼は未だ純粋な状態に達していません。
女性に触れたいとか、女性とお付き合いがたいとか、
夢のなかでさえも思うことがあってはいけません。
人の純粋さは、夢の中での経験によって測ることができます。
夢の中でさえ性的な考えから完全に解放された時、
ブラフマチャリは最高の純粋さ純潔に達したと言えます。
心の状態を決定する不可欠な要素は、自己分析と内省です。
ジュニャーニは夢精することがありません。
ブラフマチャリヤを達成した彼は、悪夢を見ることはありません。
夢の内容を測ることで、
私たちの心の状態や精神の純粋性の程度を知ることができます。
あなたが不純な夢を見ることがないならば、
純粋さにおいて成長している証しです。
(ジュニャーニ:
現世において解脱に達した人物 訳注)
そのような心には、
セックス(性)そのものの概念さえも存在しません。
シュカデヴァはこの境地に達しました。
シュカは結婚をしませんでした。
彼は家を出ると世界中を裸のまま行脚しました。
息子と離れ離れになることは父であるヴィヤーサには、
とても耐えられない苦痛でした。
そのためヴィヤーサは息子を探しに出かけました。
彼が戦車のそばを通りかかったとき、
遊びに耽っていたアプサラ(天の乙女)は、
彼を見て恥ずかしさのあまり慌てて服を身につけました。
ヴィヤーサは言いました。
「ああ、実に奇妙なことだ。」
「私は年老いていて、服も着ている。
しかし私の息子シュカが裸でこの道を歩いた時、
あなたは騒ぎもせず、身動き一つしなかった。」
アプサラは答えました。
「尊敬すべき賢者よ、
汝の息子には男の性も女の性も存在しません。
しかし汝にはまだ性の意識がありますから。」と。
(シュカ:ヴィヤーサの息子:バガヴァータ・プラーナによると
アプサラが美しいオウムの形で彼の前を飛び、
ヴィヤーサを射精させて、そこからシュカが生まれたという)
情欲の根絶は簡単な仕事ではありません。
この恐ろしい敵は、狐が茂みの中に身を隠しているように、
深層心理から心の隅っこまで、
ハートのあらゆるところに身を潜めていますから。
この欲望を注意深く探し出さなければならないからです。
自身の心を油断なく見張っている場合にだけ、
その存在を看破できます。
徹底的な自己診察が求められます。
あらゆる側面(心の)から総攻撃をして初めて、
強力な敵を克服できます。
強力な感覚は、すべての側面から、内外から、
上から、下から攻撃した場合にのみ制御できます。
感覚というものは乱気流のようなものです。
断食、節制、ジャパ(神の名を唱える)
瞑想、ヴィチャーラ(真我探求)、禁欲、
思考制御、薫習の破壊などの、
さまざまな方法で心を制御する必要があります。
(薫習:ヴァサナス
人の現在の行動に影響を与える行動傾向またはカルマの痕跡。
不二一元論の専門用語 訳注)
数年の間独居を守り、
少しの静寂や純粋さを経験したというだけで、
欲望を取り除くことに成功したという、
愚かな勘違いから身を守らなければなりません。
食事を少し節制して、少しジャパをして、少し瞑想して、
もうそれで十分、他にすることはない、
それによって性欲を完全に根絶できる。
こんなサダナ(霊性修行)は妄想でしかありませんし、
このような生活を送ってはいけません。
誘惑やマーラはいつあなたを打ち負かすかわかりません。
(マーラ:釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、
瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔。 訳注)
絶え間ない(心の)不寝番と、厳格なサダナは、
修行者にとって非常に重要なのです。
限定された努力だけで、
ブラフマチャリヤを達成することはできません。
強力な敵を殺すためにマシンガンが必要なように、
この強力な敵である欲望を全滅させるためには、
絶え間なく、精力的に、力強いサダナが求められます。
禁欲をしたという小さな達成に思い上がるべきではありません。
もし試練に会えば、あっけなく失敗してしまうでしょう。
自分の欠点を常に意識すべきです。
弛むことなく自分の欠点を取り除く努力をしなさい。
最高の努力が求められます。
そのようにしてこそ、
このブラフマチャリヤで意気揚々と成功できるのです。
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