瞑想により心理を浄化する
例えば、あなたの妻が見知らぬ男性と密会している。
それが、真実でもなくても、見聞きしたならば、
あなたは居ても立っても居られなくなるだろう。
心が騒ぎ抑えられなくなる。
これは「複数の我」の一つ嫉妬の我(エゴ)によるものだ。
次に「自尊心の我」が傷つけられたと感じ、
怒りふつふつとこみ上げて来る。
ついには、侮辱されたことへの憎しみが噴き出して、
恐ろしい事件を起こすかも知れない。
(たとえ、それが誤解でもあってもだ)
もし、皆さんが、恐ろしい不幸を生み出す「複数の我」を、
取り除くことを望むのであれば、
一つ一つの「我」に焦点を合わせなければならない。
「複数の我」がどのように自己の内面で働いているのかを、
調査研究するのである。
「他の我と共に何が起こったか?」
「自分はそれらの我をどこにしまっておいたのか?」
「それはいつからか?」
というように調査をしていく。
論理的思考を持って、現実を見つめよう。
そうすれば、
このワークは緊急に行うべきものと結論できるだろう。
この心理的ワークを遅らせることはありえない。
遅らせば、人生をさらに悪化させるだけだろう。
(誰もが人生の犠牲者と感じるのはこのせいである)
この心理的ワークに着手して、歩みを止めてはならない。
さもなければ、人生は複雑化していき、
ついには失敗に終わるだろう。
人生を成功させるためには、実践的な戦略が求められる。
つまり、日々の日常生活において、
弛むことなく、自己観察と自己理解を実践することだ。
役に立たない教え、
偽神秘学の類に時間を費やすのをやめなさい。
根本的に自分を変えたいと真剣に望むなら、
これ以上時間を無駄に費やしてはならない。
「明日からしよう」多くの人はそう考えるが、
「明日という日」は永遠にやっては来ない。
「明日からしよう」という我を、除去しなげればならない。
それは「今日」行うべきなのだ。
ワークが心理に深く刻み込まれるまで粘り強く作業しよう。
「複数の我」エゴ撲滅の瞑想
これから「我」溶解する瞑想について教えよう。
瞑想とは心を散漫にしたり、
まとまりのない考えを楽しむものでもない。
エゴを撲滅、溶解させるための瞑想において、
積極的な想像力、創造的な意志力、
そして集中力を働かせることが不可欠である。
これらは、真の瞑想状態に至るために必要である。
この心理的ワークには段階的なステップがある。
その段階は先に述べた三つのステップに要約できる。
1.欠点を「発見」し2.「理解」し3.裁判にかけ「根絶」する。
「悟り」への瞑想のステップ
段階的に心理を浄化する
1.心身をリラックスさせて良質な瞑想を行う。
座り心地の良い椅子に腰を掛けるか、安定した姿勢をとる。
2.回想のエクササイズを行う。
問題となる「我」を浮き彫りにするために、
記憶を呼び起こし、様々な情景や出来事を再体験する。
それらを一つずつ分類分析していく。
「我」とどのように接するのか、取り組むのかを、
それぞれの誤りの重大さに応じて行っていく。
3.観察と深い理解。
決して「我」と同一視せず、同情しない。
内省的な分析を行う。
それぞれの欠点の立ち振る舞いを理解する。
4.最高度のインテグラル(統合的)分析へと進む。
外科医が用いるメスのような自己批判と分析を行う。
「我」を完全に根絶するために、
欠点をバラバラにして切断していく。
5.審判:内なるカオム(Kaom)の招喚。
カオム(Kaom)とは、完徳なる存在、
ビーイング(魂)の声である。
それは私たちの内の告発者「良心の声」である。
このステップでは、この声ゆえに、
私たち自身の過ちを理解して、罪を明らかにできる。
過ちにより、私たちは苦しみ、悲しみ。
人々は無知ゆえに、自分自身の甘えゆえに、聖なる法に反する。
その結果人々は不幸になっていく。
(聖なる法:この世の法律とは違い、霊的な法則が存在する。
モーゼの十戒やヨーガのヤマ・ニヤマの教えのように、
法を守ることは人の幸せにつながる。訳注)
私たちは過ちの元である「複数の我」を死刑にするために、
苦しみを与えてきた欠点すべてを、明らかにすべきだ。
6.我の根絶:我(エゴ)の死、撲滅。
彼女、聖なる母であるクンダリニーの火だけが、
「我」を完全に焼き尽くし宇宙の灰にできる。
死を宣告した「我」を完全に根絶するために彼女を呼ぶ。
彼女に過ちの源であるエゴを撲滅するように懇願する。
この時、心の底から彼女に請い願うのである。
彼女がどのように欠点を刑に処し、完全に絶滅させるかを、
想像力を通して見て、感情を通して触れる。
そこにはいかなる同情もあってはならない。
躊躇なくエゴと決別しなければならない。
(訳注:聖書のイエスの山上の垂訓の言葉を思い起こされる。
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、
それを抜き出して捨てなさい。
五体の一部を失っても、
全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、
それを切って捨てなさい。
五体の一部を失っても、
全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
マタイの福音書 5:29-30)
彼女の杖と槍が怪物の心臓に突き刺さっているのを見る。
そして昇華された性エネルギー(聖なる精液)を表す、
彼女の燃えるような剣がその首を斬り落とし、
完全に灰になるまで焼かれる様を見るだろう。
怪物が崩壊し縮んでいくと、やがてその姿は、
純粋で無邪気な子供に変わる。
これは「我」が、
魂の美徳を餌として生きてきたことを象徴している。
その子供の背後に青い炎が見える。
私たちのハートの内奥に存在していた美徳が、
エゴの崩壊により蘇ったのである。
あなたは幼子の心を取り戻して感謝するだろう。
このプラクティスを実践することによって、
これまで発達させてきた自己観察の能力を通して、
欠点が少しずつ死んでいく。
最後には完全に跡形もなくなる様子を見ることができる。
「複数の我」の根絶の道、「覚醒の道」を歩む全ての学徒に、
はっきりと言わなければならない。
それは、「聖なる母に祈らなければならない。」ということだ。
夫婦として共に歩んでいる兄弟姉妹は、
グラン・アルカーノ(性魔術)を実践している、
性行為の最中に聖なる母に祈るべきである。
自分の欠点を根絶してもらうように、
聖なる母に懇願しなければならない。
ヴァジロリ・ムドラを実践している独身者も、
性エネルギー昇華の際に聖なる母に祈るべきである。
これらすべてのことは、
自分自身のための長い自発的な苦しみのプロセスである。
多大な忍耐と粘り強さによって成し遂げられるべきだ。
イエスキリストが言ったように、容易な仕事ではない。
しかしながら、行く手を塞ぐ困難に心を煩わしてはいけない。
自分に働きかけるこの道を歩むのであれば、
欠点と共にそれらの障害も徐々に浄化され、
溶解していくものであるから。
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