「イエスの約束 」
シュリ・スダルシャン・シャルマ ①
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて上げよう。」
マタイ11章28節
「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。
そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。」
(原文では36節だが新約聖書と照らし合わせて訂正 訳注)
これはイエス様からの招待状です。
皆さん宛の、親密でとても優しさに溢れた招待状です。
これは必ず守られる約束です。
天地は滅んでも、主の言葉は決して滅びることはありません。
なぜなら、この言葉はイエス様からだけではなく、
主を遣わした彼(神)からの約束でもあるからです。
主は自分の思いではなく、天の御父の意志のみを求めています。
不幸のために心の平安を失っている全ての人宛に、
主はこの招待状を送りました。
運命の荒々しい手によって、
残酷にも打ちひしがれている人々は皆、
希望と勇気、そして慰めを与えられるでしょう。
真に、イエス様は不幸せな者の為にこの地上にきたのです。
多くの人が、陽の輝く下にいながら、生きる意欲を失い、
すすり泣きとため息の中、苦しみに満ちた人生を生きています。
しかし、多くを失ったと考えるのは間違いです。
なぜなら、
それらを補って余りある大いなる希望が待っていますから。
皆さんは孤独ではないし、見捨てられてもいません。
皆さんのことを深く気にかけている方がいるではありませんか。
彼の望みは唯一つ、
未だ成就に達していない魂を完成させることです。
もし、皆さんが、
イエス様には救いの力があるのだと信じ、彼に付き従うのなら、
彼は道の途上のすべてのイバラを取り除き、
道を整えて真っ直ぐにしてくれるでしょう。
信仰を持つ者は誰も決して失われることはありません。
それに比べ、ああ!不信仰な者は何と悲しい定めでしょう!
イエス様は非難し、排斥するために来たのではなく、
人々を受け入れ救うために来たのです。
これが、理論哲学体系の提唱者としてではなく、
主が救い主として世に知られている理由です。
また、主が知性よりも愛に重きを置く理由もこれです。
人は知識の光によってのみでは生きることはできず、
親密な愛の暖かさを必要としていることを、主はご存知でした。
人は理解される必要があり、さらには、
災難からくる失意と悲しみから救われなければなりません。
人はどのような状態に陥ろうとも、
生きる望みを持ち、平和と幸福を望むものなのです。
OM 一切のものに平安あれ!
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