2月23日(土)に勉強会を行います。
場所<カラフル会議室 札幌駅前>
東カン札幌駅前ビル 901号室
※玄関ドアに“salut”(サリュ)と表示しています。
住所: 北海道 札幌市北区 北七条西 4丁目1-1
札幌駅北口から10秒です。
今回は大通りではないのでご注意してください。
時間:18:00~20:30
参加費:3000円 当日払い
持ち物:お手持ちのギータの本をご持参ください。
なくても構いません。
予約方法:erohimaya@gmail.comへ
お名前を書いて
「勉強会参加します」と送信してください。
書籍購入予定の方は こちらの本をお勧めします。
下のリンクから購入できますよ♡
第6章 シンポジウム
クリスマス・その霊的意味
シュリ・スワミ・シヴァーナンダ
クリスマスは人類の歴史の中でも、記憶すべき日であり、
救世主イエスの誕生日であることは、
世界中の人々に知られているとおりです。
確かに、クリスマスは、
キリストの御降誕を祝する日なのですが、
霊的生活の非常に意味深い真理を象徴しています。
イエス・キリストは神聖な意識の生きた象徴です。
彼こそ神の化身です。
無知、迷信、貪欲、憎しみ、偽善が世にはびこる、
まさにその時に、主は生まれました。
支配者たちは傲慢で正義に反していました。
人々は貪欲で、怠け者で、無思慮な状態でした。
純潔は忘れ去られ、道徳は無視されていました。
彼らは神への崇拝よりも、
一心不乱にマモン(富)にひれ伏していました。
理想主義はどこにもありませんでした。
このような状態の真っただ中に、キリストは誕生し、
人々の人生を変容させるために働きました。
主は人々の人生に、新しく、霊的な生き方を与えたのです。
そうして、この地に変化がおきました。
人々は新しい生き方を始めたのです。
そうして、この世界の新しい時代の夜明けがきました。
キリストの到来前には、
暗黒、不純物、物質主義がはびこっていましたが、
その状態は識別(ヴィヴェーカ)が明け染める前の、
そして、霊的な目覚めが起こる前の、
探求者個人の内面の状態を示しています。
その時まで、探求者は神について考えることも、
崇高な霊的生活についても考えることはありませんでした。
この世の物質的事柄を追求することに没頭していました。
彼は感覚の奴隷でした。
人生に霊的な理想はありませんでした。
欲望に駆り立てられていました。
傲慢、貪欲、好色が彼の性格を特徴づけるものでした。
彼の人生は欲望、怒り、貪欲、愛着に欺かれ、
自惚れと嫉妬により織り成されています。
このような状態を終わらせるべきと言うならば、
探求者が霊的な大志、純潔と信心という、
新しい生命に足を踏み入れるべきであると言うならば、
キリストの霊が彼のハートの内に誕生しなければなりません。
その人のハートの中で、神聖な要素(エレメント)、
それ自身が顕れ始める時、それこそが真のクリスマスです。
それから、以前は闇だったところに光が輝き始めます。
無知は知恵の始まりに取って代わります。
不純は純潔に置き換えられます。
憎しみは終わり、かわりに愛が咲き始めるのです。
人の最も内奥の中心核とは、神という本質なのです。
しかし人間の人格を媒介すると、
常に2つの勢力が活動し続けます。
それらは、善の力と悪の力、光と闇です。
神聖なるものと非神聖(悪魔的)なものは、
人間の意識の中で互いに作用しあっています。
全てにおいてそれ自身が輝く光と、栄光の中で、
非神聖(悪魔的)な要素を完全に克服して消滅させ、
最高に神聖な意識を完全に現わすためには、
細部に至るまで最大限に忠実に、
キリストの人生に倣うことを成し遂げることです。
そうしてこそ、霊的な人生と言えます。
これこそヨーガです。これこそサダナ(霊性修行)です。
これこそが自己実現の小径なのです。
不死と最高の至福と永久の平和に
導いてくれるのが、この小径なのです。
もしキリストに倣って生きるのであれば、
何よりもまず
私たちのハートに子であるキリストが誕生すべきです。
そのようにして初めて、
志願者の真の霊的な生活が始まるのです。
善良で美徳の道で進歩しようと、高貴な理想を尊重し、
悪質で否定的な傾向を根絶する、聖なる衝動の最初の現れこそ、
幼きイエスが、私たちの意識の中で誕生したことを意味します。
このようにして、崇高な純潔、神への信仰、憐れみ、
思いやり、愛、無私、無欲、エゴの放棄、赦し、
信仰深さなどの、すべての細部において、
キリストに倣う人生が始まるのです。
今後は、ひたむきにヨーガを行い、自己抑制と清貧、
完全な平安と平和、寛容さ、
喜びと苦痛にあっても心の平静を保つこと、
怯むことのない勇気と決意、そして人類への献身を通して、
神への礼拝に完全に専念する生活を始めるのです。
これこそ、イエス・キリストと結ばれるという、
祝宴の霊的な意味なのです。
これはまた、復活祭のメッセージでもあります。
(祝宴: イエスの天国についての譬え話
マタイの福音書22章1-14を参照 訳注)
真に熱心な探求者の心の中で、キリストの霊が再臨することで、
すべての世俗的な欲望は終わりを告げます。
そして神聖な熱望に置き換わるでしょう。
霊性が物質主義を克服するでしょう。
感覚の奴隷であることから自由になれます。
愛と自制、謙虚さと無執着と無私という、
新しく、純粋なる神聖な生活を始めることでしょう。
キリストの人生のように、あなたは崇高なものとなります。
完全な信仰を生き、神の命の中に生き始めます。
神のことを常に考え、話し、神のために生きるようになります。
人々のために働くことが、本当の喜びになるでしょう。
あなたは生ける神の知恵となります。
あなたの生命活動の全てが、神へと向かって流れてゆきます。
ここに、とても小さいけれども、
心すべきとても意義深く、美しいポイントがあります。
それは、とても重要な霊的な法則についてです。
聖なる降誕祭の主の誕生の方法と時についてです。
イエス・キリストは大宮殿には生まれませんでした。
主は富に溢れ、学がある両親のもとには生まれませんでした。
主は学識に富み、陽が当たる環境にも生まれませんでした。
イエスは純朴で低い階層の馬小屋に生まれたのです。
申し訳のない性格と聖性以外は、何も誇るものがない、
謙虚で貧しい両親のもとに生まれたのです。
また、主は真夜中に、
人目につかない暗闇の中でお生まれになりました。
祝福された少数の魂を除いて、誰も知り得ませんでした。
第一に、さらに重要な意義を述べますが、
完全に謙虚で従順で心の貧しい者である探求者に、
霊的な目覚めというものは訪れるということです。
まことの謙虚さという資質は、
欠くことのできない霊性の基礎なのです。
第二に、この世の富にまつわるすべての欲望と、
学識を誇るうぬぼれの放棄により、
私たちは純真、神聖さを取り戻します。
第三に、人目につかない暗闇で、世に知られていない中、
キリストの誕生があったように、
完全な自我の消滅と自我の放棄が行われた時、
魂の本質において、キリストの霊も出現します。
富や名声、権力などを増大させる衝動、
虚栄が蔓延するところでは、
神はご自身を明らかにすることはできません。
これらの利己主義の表現は、
あらゆる種類の霊的成長への永久的な障害だからです。
「汝自身を空にしなさい、そうすれば私は汝を満たそう」とは、
主イエスの聖なる訓戒です。
天の王国は確かに謙虚な心を持つ人のためにあります。
このように、本当の謙虚さと自我の消滅は、
美しい前兆、夜明けであり、
霊的な人生の新しい時代の到来を告げる、
いわば先駆者と言えます。
これらの兆候があなたの中に現れた時、
聖降誕祭が訪れるのです、
この時、人は新たに誕生するのです。
この誕生が、人を神聖な生命にいざないます。
善人であるニコデモに、遥か昔イエスが優しく説明したのが、
この誕生という秘密だったのです。
「神の王国を手に入れるためには、
人は再び生まれなければならない」
と教えたイエスの言葉の意味を、
この良き人は、正確に理解することが出来ませんでした。
「どうしてそんなことがあり得ましょうか?」
そのように、ニコデモスは尋ねました。
そうすると、キリストは、
この誕生は肉体のものではなく、
霊の内なる変容であると説明しました。
もし崇高なる者に到達したいならば、
もし本当の至福を体験したいのならば、
そのような霊的な誕生は不可欠なのです。
内なるクリスマスが来て、初めて喜びを知ることでしょう。
ああ、この時代の人々よ!
クリスマスに秘められた深遠なメッセージに耳を傾けなさい!
神なるキリストとの私的で真の密接な交わりが、
あなたのハートで始まりますように!
権力への渇望と富による傲慢が人の性質を侵している限りは、
キリスト霊の平和、幸運とまことの幸福は、
あなたの人生に訪れないことを、完全に理解してください。
イギリス、アメリカなど、あらゆる大陸、世界中の、
キリスト教を奉じる国々でクリスマスは祝われますが、
「人は再び生まれなければ、天国に入ることはできません」
この精神が生まれなければなりません。
そうでなければ、素朴で、小さな子供のような、
純粋なハートは頑な心には訪れません。
現代人の罪深い心根は、平和、繁栄、
普遍的な幸福と調和から、遥かに遠くかけ離れたものです。
個々において、そして国家も同様に言えることですが、
まことの信仰という基礎と、
まことの慈愛、心からのへり下り、そして霊的な誕生だけが、
この地上に真の至福と兄弟愛をもたらすのです。
すべての国民が、現代という世界の在り方、
憎しみ、貪欲という生き方を断念し、
そのような変容を遂げてこそ、普遍的なクリスマスの意味、
まことの祝福を享受することでしょう。
その時こそ、この絶望という世界に、
恵みあふれるキリストが到来するのです。
その時までは、今あるクリスマスは、
真の栄光ある主の到来の、稚拙な模倣でしかありません。
ああ世界の人々よ、今こそ新たに生まれ、生き方を改めなさい!
主の到来という、至福と輝きが地上に行き渡りますように!
探求者たちよ、このことを心に留め置きなさい!
神聖さが姿を表すときに、諸手を挙げて歓迎するのです。
あまりにもこの世のことに心をとらわれて、
主のことを忘れてはいけません。
主が降誕するという祝福された日には、
多くの人がベツレヘムの地に溢れ、
宿屋も家も旅人が押し寄せており、お金の計算に夢中で、
主の家族を受け入れる所がどこにもありませんでした。
(ローマ皇帝アウグストの勅令である人口調査 訳注)
この人口調査と徴税は、
この世のにおける人間関係と、愛着、
そして金銭に夢中になることで、
人の霊魂が囚われて奴隷になっていることを意味しています。
霊的な志願者は、
この2つの重大な間違いに気をつけるべきです。
この世の富を追い求め、愛着に心奪われることから、
内なるものへ立ち返りなさい。
あなたの内に在る、神聖な霊の現れを、
今こそ完全に受け入れるのです。
愛すべき探求者よ、
今こそ、あなたの内なる本質のなかで、
まことの降誕祭、クリスマスへと導かれて、
欲望の無い者になりなさい。
エゴイズムを克服しなさい。
真の謙虚さそのものになるのです。
謙遜さをもって主に身を捧げることにより、
柔和でへりくだる者になりなさい。
道を妨げるすべてのものを、克服する勇気を持ちなさい。
喜びをもって富を放棄しなさい。
恵みあふれる光が内奥へ天下るのを受け入れなさい。
内なる神の降誕を祝うのです。
そのようにして、クリスマスを褒め讃えることが、
ついには霊の変容、復活、昇天という、
栄光ある頂点へと、あなたを導くのです。
神性で誉れある王冠を受けなさい。
不死を達成し、完全な自由を得て、
かってない無限の至福に浸るのです。
キリストの降誕を実現することで、
キリスト意識とアートマンの知恵の輝きを実現しなさい。
アーメン
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