第6章 シンポジウム
クリスマス・その霊的意味
シュリ・スワミ・シヴァーナンダ
クリスマスは人類の歴史の中でも、記憶すべき日であり、
救世主イエスの誕生日であることは、
世界中の人々に知られているとおりです。
確かに、クリスマスは、
キリストの御降誕を祝する日なのですが、
霊的生活の非常に意味深い真理を象徴しています。
イエス・キリストは神聖な意識の生きた象徴です。
彼こそ神の化身です。
無知、迷信、貪欲、憎しみ、偽善が世にはびこる、
まさにその時に、主は生まれました。
支配者たちは傲慢で正義に反していました。
人々は貪欲で、怠け者で、無思慮な状態でした。
純潔は忘れ去られ、道徳は無視されていました。
彼らは神への崇拝よりも、
一心不乱にマモン(富)にひれ伏していました。
理想主義はどこにもありませんでした。
このような状態の真っただ中に、キリストは誕生し、
人々の人生を変容させるために働きました。
主は人々の人生に、新しく、霊的な生き方を与えたのです。
そうして、この地に変化がおきました。
人々は新しい生き方を始めたのです。
そうして、この世界の新しい時代の夜明けがきました。
キリストの到来前には、
暗黒、不純物、物質主義がはびこっていましたが、
その状態は識別(ヴィヴェーカ)が明け染める前の、
そして、霊的な目覚めが起こる前の、
探求者個人の内面の状態を示しています。
その時まで、探求者は神について考えることも、
崇高な霊的生活についても考えることはありませんでした。
この世の物質的事柄を追求することに没頭していました。
彼は感覚の奴隷でした。
人生に霊的な理想はありませんでした。
欲望に駆り立てられていました。
傲慢、貪欲、好色が彼の性格を特徴づけるものでした。
彼の人生は欲望、怒り、貪欲、愛着に欺かれ、
自惚れと嫉妬により織り成されています。
このような状態を終わらせるべきと言うならば、
探求者が霊的な大志、純潔と信心という、
新しい生命に足を踏み入れるべきであると言うならば、
キリストの霊が彼のハートの内に誕生しなければなりません。
その人のハートの中で、神聖な要素(エレメント)、
それ自身が顕れ始める時、それこそが真のクリスマスです。
それから、以前は闇だったところに光が輝き始めます。
無知は知恵の始まりに取って代わります。
不純は純潔に置き換えられます。
憎しみは終わり、かわりに愛が咲き始めるのです。
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