1月26日(土)札幌 14時半〜16時半 瞑想会です。
神の御恵みの扉
あなたが人生において、邪悪な暗闇から立ち去り、
純粋で神聖な生命の光に向かって歩み始めるならば、
主の祝福の扉を自ら実際に開くことができるでしょう。
しかし、これらの御恵みがあなたの本質に入り、
豊かさを達成し、華美な霊的経験の形で実りを得るには、
その恵みを受けるに相応しい、
正しく適切な受容ができるハートを準備すべきです。
それはちょうど、
種が発芽して、豊穣な収穫を得るために、
農夫が完全な土壌を用意するのと同じです。
なぜ霊的な生活の進歩において、
探求者の正しく、適切な受容性が重要な役割を担っているのか、
イエスの美しい譬え話の中で詳らかになっています。
とある暖かく蒸した日に、
カペナウムで主は説教し、教え、癒し、慰め、啓発し、
彼の周りに群がった膨大な群衆を教えて、
忙しく午前を過ごしていました。
夕暮れが迫る頃、主は湖のほとりを歩いていました。
そこにも、大勢の人々が主の後に従っていました。
群衆が押し寄せたため、イエスは船に乗り、
岸から数メートル離れたところで錨を下ろしました。
船から主は熱心な人々に目を向けます。
そして甘い口調で愛しい言葉を語りかけたのです。
主は群集に語りかけました。
農夫が畑に撒いた種の様子を話します。
強い風が吹くと、いくつかの種は吹き飛ばされ、
道端に落ちて鳥が食べて失われてしまいました。
ほかの種は、乾燥した硬い岩の上に落ちました。
その種は根を下ろす土がなかったのです。
陽が当たると枯れて死んでしまいました。
ほかの種は良い土でしたが、イバラの中に落ち、
芽を出して小さく成長したにもかかわらず、
イバラの棘に覆われて息絶えて死んでしまいました。
良い土壌に落ちた残りの種は成長し、
成長し広がり、豊かな収穫をもたらしました。
それにしても、主は愛と慈悲をもって、
最高の至福を収穫できる霊的真理の貴重な種を、
広く撒かれているのですが、
残念なことに、それらの多くの種は実を結びません。
ある人々のハート(心)は、
絶え間なく、欲望と、この世的な欲情の餌食になっていて、
主の御恵みから完全に絶たれています。(鳥に食べられる)
ほかの人々の場合は、ハートが完全に乾いており、
信仰と神への熱愛に欠けているために、
ちょうど、岩の上に落ちた種のように、
彼らの内にあった霊的真理は萎れて枯れてしまうのです。
ある人々は良い性質を持っていて、
霊的な種の根を出し、成長を始めるのですが、
ああ悲しいかな!悪しき交際、世俗的な会合、
不純で悪徳な環境という、イバラの棘によって、
霊的な種の若い芽は息絶えて死んでしまうのです。
誠実で熱心な探求者こそ幸せな人々です。
神に大いに身を捧げ、すべての霊的な威光を受け入れて、
祈り、霊的な修養と無私の奉仕によって、
心を完全に準備する彼らは、
すべての時代と国々の主の使徒、聖人と賢者と信者を通じて、
そして、世界のすべての偉大な宗教の聖なる書を通して、
主によって全人類に贈られてきた、
祝福という、最高の収穫を刈り入れます。
それだから、ああ志願者よ、
霊的至福の栄光ある収穫を刈り入れることを望むならば、
サダチャラ(正しい行動)とセラ(正しい考え)を通し、
ヤマ・ニヤマの実践に励み、
サダナ・チャットシュタヤの獲得を通して、
(Sadhana Chatushtaya 4つの「知識の柱」
それらには6つの美徳、つまりシャットサンパットが含まれる)
内なる本質を完全に準備しなさい。
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