前回の告知で
来週の瞑想会 1/26(土)14時半から16時半です
書き忘れてました😚 よろしくお願いします。
では前回の続きです。
イエスとは誰だったのか
イエスの極めて重要で深い存在意義と、その不滅の教義は、
イエスが誰で、どのようにして神の化身となったのかを、
我々が考察することによってのみ、明らかにされます。
イエスは普通の人間ではありませんでした。
主は特別な聖なる目的のために、
この地球上に生まれた神の力と愛そのものでした。
主の降臨とは、世界が変わって行く過程の中で、
神の計画が成就されるための本質となるものでした。
これは、彼の誕生と生い立ちの中に見てとれます。
神の現存の輝きによってこの地上の世界を照らす前でさえ、
彼の出現は、私たちが洗礼者ヨハネとして知っている、
選ばれた神の人によって宣伝され説教され吹聴されていました。
ことはこのようにして始まりました。
司祭であるザカリアと妻エリザベトは、
ユダヤの聖なる敬虔な夫婦でした。
天使ガブリエルが良き老祭司の前に姿を現し、
神の意志により彼に子息子が授かったと、
伝えた様子が聖書に描かれています。
彼は神の聖なる御子の到来を予告し、
人々が彼を受け入れる準備をする者でした。
神の摂理によって神秘的に生まれたこの少年は、
洗礼者ヨハネとして知られるようになり、
天使ガブリエルの預言を果たすために、
「主のために備えられた民」を用意しました。
イエスの顕現のための道を敷きつめたのです。
のちに、実際に、聖なる祝福された主の誕生が近づいた時、
東方の賢者たちと、選ばれた信仰深い人々を、
主の降誕の馬小屋へと導いた偉大なる光によって、
主の神性を天は宣言したのです。
このようにして初めて、世の光が、
欺きと無知という、世界の暗闇に差し込んだのです。
彼が教えた道
イエスが生き、教えた道は、
単純ではありましたが崇高なものでした。
彼の教育方法は何か並はずれたものでした。
イエスは伝統的な学者ではありませんでした。
彼は学位や博士号を取得することはありませんでした。
彼は教師や学識あるものでもありませんでした。
彼は実務的な技術や科学に、精通も熟練もしてなかったのです。
彼は野心的な弁論術や、説教壇からの説教術を学ぶことにも、
なんら興味がなかったのです。
彼が話す時は、短く言葉少なくも簡潔に述べました。
彼は短くも力強く、格言的な話をしました。
それでも彼の言葉はこの世のものではない、
驚くほどの力をもって響き渡るのでした。
その言葉には活力が満ちていて、燃え立つようでした。
主の言葉はそれ自身が、
まさに聞く人々の意識の奥底から燃え上がったのです。
その理由はなんだったのでしょうか?
イエスが話す時、彼の祝福された言葉は、
無限の愛と聖なる果てしない憐れみの深みからやって来て、
人々をゾクゾクするほど興奮させて、
他者のために善を行い、奉仕して、助け、
救うために全力を尽くしたいという強い欲求を起こしたのです。
キリストなるイエスの聖なるハートを構成するものこそ、
人類を浄化し、高め、救うこの憐れみなのです。
この愛は神の力で主の言葉を活性化させ、
彼によって祝福された時代の、幸運な聴衆の心や、
今日においても聖書の聖なるページを紐解く、
数えきれない人々の心の内に永遠に祀られています。
実践的霊性
世俗的な人生から救われる方法と、
永遠の至福を達成するという道を,
人類に教える仕事にイエスは没頭したのです。
主は、この生と死を伴う実在の大海から人々を救い出し、
海を渡らせて不死なる岸辺に連れて行くために来たのです。
それゆえに、彼は実践的な霊性の福音を宣べ伝えました。
すべての難解で哲学的な理論や、
捉えがたい知的な学術研究などは傍らに置き、
人としての生き方、何を考えるべきで、何を感じるべきで、
何を行うべきかを、イエスは人々に教えたのです。
この仕事を成し遂げるために、
街ゆく普通の人々でさえ容易に話が把握でき理解できるように、
霊的生活における大変高度な真理に、
主は平易な物語と譬え話という衣服を着せました。
霊的生活の深遠なる知恵は、易しい譬え話の形で、
聖イエスの甘く恵みあふれる言葉によって、
人々に宣べ伝えられました。
そうして数えきれないほどのキリストの訓戒が伝えられました。
その中のいくつかを選び考察するだけでも、
霊的な目標へ向かう道を、
無数の光が照らして助けてくれることでしょう。
もう罪を犯してはならない
救い主の崇高な人生を熟考する時、
最初に明らかになる重要な霊的真理は、
福音書に記録されている最も感動的な出来事の1つです。
憐れみ深き主が街の通りを移動していると、
怒れる群衆に突然出くわします。
罪の行為の最中に捕らえられた一人の女性に、
彼らは怒り狂い、死に至る罰を執行するところでした。
そこで救い主が近づくと、
この不幸な女は主の足元に庇護を求め、後悔の涙を流します。
イエスは穏やかではあるが、
人が動かされずにはおられない表情を、
怒れる群衆に向けると、この女を手で指し示し、
「あなたがたの中で罪のない者が、
まずこの女に石を投げつけるがよい」と挑戦しました。
すべての怒りの声が消え、静かになります。
そして群衆は恐れを感じました。
石と棒を地面に落とすと、群衆は去って行きました。
イエスは、罪を悔い改めた足元の女と共に残されました。
主は彼女を立たせると、
「行きなさい。もう罪を犯してはならない」
と言って帰らせたのです。
主はわずか数語で、
霊的王国の偉大なる法を明かしてくださいました。
すなわち、心から悔い改めた魂は、
すべての罪の赦しを受け、聖なる憐れみの恵みを受けるのです。
ああ人類よ!もしあなた方が、まことの祝福を熱望するならば、
邪悪な道から離れて、「もう罪を犯さない」と、
決心すべきだと学びなさい。
コメント