1953年のメッセージ
永遠の福音
12月25日には、
恵みあふれる救世主の到来を記念して、
主イエスの誕生日を祝いますが、
それはキリスト暦の始まる8年前には、
主がこの世に生まれていたことも意味しています。
ちなみに、現代の歴史学者や古文書の専門家は、
12月25日の夜よりも前の、10月頃に、
イエスが生まれたと信じ主張していましたが、
私たちの関心は、キリストの人生と教えにあるのですから、
このような論争や議論には興味がなく、
伝統的な信念が変わることはほとんどありません。
この地上に足を踏み入れ、
確かに呼吸をした、愛と憐れみに満ちた方、
肉体の世界をはるかに超えて、深遠で測り知れなく、
不変で人を限りなく高尚にする、主の栄光を、
思い描いてみても、どのようにして、儚き考えや、
限りがある言葉で書き表せるというのでしょうか?
革命的な教え
確かにイエスの教義は、人間の思考にショックを与える、
最も強力な革命的な力でした。
彼の考えは時代を遥かに超えるものでしたから、
世界は主の教えの本当の意味を理解することが全くできず、
彼を危険な冒涜者と思い違いしたのです。
この尊い方を、恐るべき改革運動者として、
逮捕して排斥し、エルサレムのピラトの法廷で、
告訴したことは何ら不思議ではありません。
ローマの属州総督であったピラトは、
この騒動で起こり得る、政治的な反乱の芽を摘み取るために、
主を十字架上でゆっくりと残忍にも苦しめて死なせ、
決着をつけるという最終決断をしたのでした。
最も啓発された預言者の初期の一人でしたが、
その頃はまだ30歳くらいであり、
ユダヤの地でアラマイ語を話し説教をしていました。
イエス・キリストは、
人種や階級などの偏見から脱することの必要性と、
この世界では、神の子供として平等な権利と機会を持ち、
自身を人類という大きな家族の一員とみなして、
平和に生き、神を求めることを提唱した最初の一人です。
利己主義と貪欲が、恥ずかしげも無く大手を振る時、
主イエスは次のことを強調しました。
富の平等な分配の必要性と、
同胞や見知らぬ人への、分け隔てない哀れみと、
思いやりある愛情の実践。
許しと慈愛によって復讐と報復を放棄すること。
総じて不和と不調などないという明らかな理由から、
あなたの隣人をあなた自身のように愛すること。
もし悪に悪をもって報いるなら終わりがなくなるから、
悪には善で報いこと。
キリストの神の概念
ヘブライの世界で、
イエスはまず健康でより理想的な神の概念をもたらしました。
神は父アブラハムとの契約に同意したものとし、
神が独断的に彼らの運命を決め、
その契約によって、神の王国の中で、
諸民族の中でも特別な特権をユダヤ民族に与え続けるものと、
ユダヤ人は信じていました。
しかしこの考えはキリストの教えに反するものでした。
そこで主は、大胆にも、
神は人から慰めや煩わしさを受けることはなく、
全人類を愛する神であり、
えこひいきなど全くなく、公平で親切で慈悲深く、
人が己の性質を清めることにより、
知り得る方であると説教したのです。
民族への忠誠心と他の民族への差別が厳格に守られていました。
現代でもみられるように、
ある人種を軽蔑と侮辱をもって見下すことで、
自らの民族を他の民族よりも誉れ高いものとしていたのです。
イエスはこれに耐えられず、
普遍的な兄弟愛の福音と、全てを受け入れる愛を通して、
すべての差別を打破しようと努めました。
全ての人々の父なる神という、不変の信念が、
ユダヤ民族の宗派的、愛国的な熱情を持つ、
聖職者階級を怒らせた理由の1つとなりました。
私的な資産を蓄えること。
この世的な自惚れの正当化や、
衝動的な見境のない飽食のためからくる、思いやりのなさ。
罪を金銭のやり取りによって償わせようとし、
人々と贖いの間に障壁を設ける伝統的な習慣の継続。
イエスはどれにも甘んじることはできませんでした。
その結果はどうなりましたか?
イエスは殉教者とならなければなりませんでした。
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