友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない
聖コルベ神父 カトリックの聖人
コルベ神父は 聖母の騎士会の司祭
戦前には日本で布教活動をされていました。
一人の男の人の身代わりとして
ドイツの軍医の注射で毒殺され 殉教されました。
イエスの次の言葉を思い起こさせます。
「わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。
これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人が何をしているか知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
それではスワミジの言葉をお聞きください。
誰かがあなたに反目して不愉快な思いを向けたところで、
あなたの心には、敵愾心は決して起こらないはずです。
あなたにとっては、彼も兄弟なのですから、
あなたの親友に持つ同じ愛と思いやりで扱われるべきです。
イエスは意見の相違という余地さえも残しませんでした。
あいまいさは主には相容れないものなのです。
主が私たちに与えた教えは実践的なものです。
「あなたの敵を愛しなさい。あなたを罵る者を祝福しなさい。
あなたを憎しむ者のために良いことをしなさい。
あなたを責め苛み、迫害する者のために祈りなさい」
この聖なる戒律を守ることを人類に贈る主の言葉は、
なんという確信に満ちたものでしょうか!
なぜ敵を愛するべきなのでしょうか?
あなたが彼らよりも偉大だからではありません!
そうではなく、
彼らすべてがそうであるように、あなたは神の子であり、
あなた自身が神のそのような性質に象られて創られたからです。
無神論者は神の祝福を否定しているではありませんか?
それなのに神の存在を否定する無神論者にも
神によって命の息吹は吹き込まれています。
「神は悪しき者の上にも良き者の上にも太陽を昇らせ、
正しい者にも不義なるものにも雨を降らせます」
憎しみは憎しみよってではなく、
憎しみは愛により消え去ります。
愛は憎しみと敵意を征服します。
正義は最終的に不義を征服します。
愛は人の心を変えます。
敵の心を勝ち取り、悪しき心を持つ人を変えるには、
人を愛し、あなた自身の誉ある義の立ち振る舞いを、
日々の生活の中で見せること以上の良い方法はありません。
愛と義をあなたの本質の一部にすべきです。
偽りのものや、わざとらしいものであってはなりません。
それゆえ、
主イエスが、悪に歯向かってはならないと命じられたとき、
愛があなたの本性になるべきであると仄めかしたのです。
それは神への飛び抜けた信仰、全能への信託、
愛の力への信頼、この上ない貞節な勇気、
悪に歯向かわなことが求められます。
「右の頬を打たれたならば、左の頬を差し出しなさい」
このように悪に対峙しても直面しても歯向かわずに、
愛を証しすることによって、
悪しき者の隠れていた道徳的良心を目覚めさせるのです。
あなたが「目には目を、歯には歯を」(報復律)
の方針を身につけているならば、
他の人々の道徳的な良心は、
あなたが示した悪しき手本によって葬られてしまいます。
しかし、誰かに頬を打たれたから、やり返すというのではなく、
あなたも、彼もコインの表裏であることを悟り、
あなたの愛を経験し、義に則って反応するならば、
彼はあなたの模範に深く影響されるでしょう。
彼は遅かれ早かれその出来事を反芻し、
行動を悔い改め、道徳的な良心を取り戻すでしょう。
もし人々がこの規則を実践するならば、
世界中の法廷は閉鎖され、
平和と親睦の中で生きることができるでしょう。
「あなたを訴えて上着を取ろうとする者には、
外套をも取らせなさい」
それでは主は、あなたがただ座って、
欺かれて奪われなさいと諭しているのでしょうか?
いいえ!
あなたが積極的に慈悲深くなることを望んでいるのです。
貧しい人々の救済に駆けつけて欲しいと主は望んでいます。
あなたの上着を奪う人がいるなら、
彼にはそれが必要なのですから、
彼の安楽のために外套をも与えなさい。
実際のところ、
あなたは外套のみならず、貴重な知恵を与えるのです。
彼はあなたの行動に、愛の真の本質、誉ある慈善を見て、
神の人がこの世の事柄に無関心であることが分かるでしょう。
外套(世俗的な物)は腐り易く、
あなたはいつの日かそれらと別れを告げる時が来るのです。
しかし、実りある贈り物、慈悲ある行いの報酬、
特に、あなたから奪うものに与える行為は不滅のものであり、
彼の内奥に変容をもたらすのです。
それは道徳的な勇気と愛だけでなく、
この世の事柄への最高の無関心と放棄が求められます。
「人がたとえ全世界を手に入れても、
自分の魂を失ったら何の徳になるでしょう」
このようにイエスははっきりと問いかけました。
慈愛という一つの美徳を手に入れることができるなら、
この世界の全てのことを失うことなんてちっぽけなことです。
OM Shantih
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