レッスン6  印象の変換

レッスン6 多様な世界とパンチャ・コーシャ

プラナヤマの実践によって、無知は一掃されて、自我の知識が明らかにされる。

                                

          シャーマ チャラン ラヒリ

ここでは複数の体とヴェーダナー 印象の変換についてお話ししておきましょう

クリヤヨガが刀だとしたら、このような知識は刀の振り方や使い方に値します。

秘教学において刀は自我の首を切るための道具です。

目的や心理浄化の方法を学ばずにクリヤを実習するならば、

エネルギーの出口を求めて感情や欲望の暴走を招いて破綻に至るでしょう。

僕は実際に30年余りの中でそのような実例を見てきました。

ですから、この記事を書きました。

ぜひ呼んでください。 

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複数世界と複数の体

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トランスヒマラヤ・秘教の教義によるとクンダリニーは7つ存在します。

人間には7つの体が存在するとも言われます。

それぞれの体にそれぞれの蛇が対応しています。

しかしながら、これらは人間をエネルギーの側面から見た一つの見地にしかすぎません。

例えば北欧の神話では世界は9つあると教えられますし、

量子力学の研究では数え切れない世界の存在の可能性を示唆しており、

これは奇しくも仏陀が伝えた世界観と同じです。

ですから7つの体と7つクンダリニーも一つの教えとしてとらえて下さい。

大事なことは自分自身で内的体験をして学ぶことですから。

パンチャ・コーシャ サンキャー哲学の見地

人間の体をエネルギーの見地からとらえた時に、

5つの鞘という概念がヴェーダ(ヨガ哲学)にあります。

パンチャ(5つの)コーシャ(鞘)と呼ばれます。

鐘を鳴らすと、その音色は鳴り響いた後、徐々に小さくなりやがて聞こえなくなります。

しかし、その時生じた音色である波動は、決して消えたのではなく、

我々の感知できない世界へと形を変えただけであるとヴェーダ哲学では教えます。

私たち人間の肉体の細胞も絶えず再生していることが医学によって知られていますが、

同じように死んだ細胞のエネルギーは物質的活動に消費されるだけではなく、

より高い世界に移行して行くと考えられます。

それは私たちが食する食べ物も同じです。

食物の消化

消化されることにより食物は微細なエネルギー、気・プラーナに変換されます。

そのエネルギーはさらに精妙な感情、思考の世界に昇華されます。

もし理知的な人であれば、そのエネルギーはさらにインテレクト(知性)と、

そして意志の世界へと結晶化して行くでしょう。

さらにアーナンダ・至福へと姿を変えていきます。

そして食べ物が変換される過程で、精妙な体は栄養を受けることになります。

そのようなわけでヴェーダでは食べ物に気をつけることを教えるのです。

以下に5つの鞘の分類をまとめてみましょう。

1. 肉体 アンナマヤ・コーシャ 食物鞘

アンナ(食物)によって栄養を受けている体(鞘)です。

2. プラーナマヤ・コーシャ 生気鞘

 呼吸、気、プラーナにより栄養を受けている体です。

3. マノマヤ・コーシャ 意思鞘 心と感情から構成されている体です。

 想念、感情から栄養を受けます。

4. ヴィジュナーナマヤ・コーシャ 理知鞘

 知性と意識の体です。

5. アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)

 アーナンダ、歓喜に満ちています。

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もう一つの食べ物 印象

大事な食べ物があります。それは印象です。

テーラーワーダ仏教、ヴィパッサナーの教えではヴェーダナーと呼ばれる考え方です。

僕自身20年以上前からヴィパッサナーの教えに触れていますが、これは長年実践している方でも、

なかなか理解が進まない部分です。

もし興味がある方は、

「アーナパーナサティ」を解説したブッダダーサ比丘の著作を研究されると良いでしょう。

もちろん印象という解釈は僕のものです。

しかしこう捉えると理解しやすいので、

ここでは、印象という切り口でヴェーダナーという概念に簡単に触れておきましょう。

ヴェーダの教えに基づく考えでは人間という存在は多数の体から形成されています。

それら機能という見地から見れば次のように分類できるかもしれません。

脳、感情、思考、理性、知性、意志、意識、自我意識、過去の記憶・サムスカーラ、トラウマなど

僕自身の考えを述べると人は多種多様なエネルギーが水平にも垂直にも交差する、

エネルギーの集合体ということです。

そして、単に外部からエネルギーを補充して変化成長するだけではなく、

自分自身が生み出したエネルギーによっても変化、成長・退化、変態していく、

ということです。

ですから個々の世界観によって世界は変わります。

たとえ2人の人物が同じ出来事に出会っても、全く違う反応をすることがあるのは、

このヴェーダナー、言い換えれば印象の変換が違うからです。

印象の変換

すべての事物はエネルギーであると考えるならば、

私たちが五感から受け止めるものはエネルギーということができます。

この五感である感覚器官(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)をギャネンドリヤと呼びます。

そして、その受け止めた感覚に対して行為する、

行為器官(排泄、生殖、会話、歩行、手作業)をカルメンドリヤと呼びます。

サンキャー哲学の詳しい解説は「聖なる科学」スワミ・ユクテスワ著 森北出版をお読み下さい。

スワミ・ユクテスワは、

「この五つの器官は、心の中和力の現れで、プラーナ(生命エネルギー)の体を構成する」

と述べています。

例えば2人の人物が、赤い自転車を見たとします。

この時、視覚というギャネンドリヤ(感覚器官)が情報を受け取ります。

その後、その情報は個々の記憶にもとづいて処理されます。

もし仮にその人物が生まれてからどこかに幽閉されていて、一度も赤色を見たことがなく、

色を教えてくれる人もなく、自転車を見たことがなければ、

ただ、ありのまま感覚器官からの情報しかないでしょう。

しかし、ほとんどの人は赤色を見たことがあり、自転車も見たり触ったり乗ったことがあるでしょう。

そのような時、体や心の中にある記憶、

ムスカーラと感覚器官からの情報は結びついて、情報を処理します。

「あれは昔乗っていた自転車に似ている。」「懐かしいな」

「あの自転車に乗っていて時は幸せだった・・・今はそうではない」

そう感じて悲しくなるかもしれません。

もう一人の方は、

「なんて可愛い自転車だろうか。絵本で見たものと似ている。今度娘に同じものを買ってあげたい。」

そう感じて笑顔になるかもしれません。

同じものを見ても、受け止めかた、感じかたによって全く違う反応、

行動器官(この場合は心と感情ですね)を刺激するのです。

ですから、ここに哲学が必要となるのです。

「あなたは誰ですか?」そして「何を求めていますか?」

このような自己認識の知識と哲学による目的がなければ、

その時の環境、外部の条件と過去の記憶の操り人形のようになります。

あなたが求めているのは、

ピーティ(欲望の満足)ですか?それともスカ(安楽)ですか? 

もしピーティを求めるのであれば、あなたはその時の思いと感情の奴隷です。

怒りを感じるままに暴力を振るう人もそうですね。感情の奴隷になっています。

スカを求めるのであれば、印象のエネルギーを変換しなければならないでしょう。

私たちは自己認識の能力が著しく退化してしまい、

自我は前述の5つのエネルギー(パンチャコーシャ)や、

ムスカーラの中で埋もれてしまい、自己を観察(サティ)することを忘れてしまっています。

ありのままに、物事を見ること。

「いま、ここ」に集中して、

自分の思い、感情、などのコーシャから自由になり、サムスカーラの影響から離れるためには、

印象を変換することが大事なのです。これがヴェーダナーです。

「このように感じ考えている私は誰なのか?」「これは何か?そのように感じさせるのは何か?」

このようにして、印象の本質を見抜くことにより、ポジティブに変換をすることができます。

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