ラヒリマハサヤ大師は1928年9月30日にインド ベンガルで生まれた。
本名はシャーマ チャラン ラヒリ শ্যামাচরণ লাহিড়ী
ヨギラジやカシババという名前でも知られている。
インド政府下のサンスクリットカレッジでヴェーダ(インド哲学)学ぶ。
卒業後はイギリス領下のインド軍でエンジニアとして働き、
バナラシ(当時はベナレス)に住み18歳でスリマティカシモニと結婚し子供した。
二人の息子ティンコウリとドウコウリ
三人の娘 ハリモティ ハリカミニ ハリモヒニ
を授かっている。
生涯 家庭人として生活した。
会計官としての稼ぎは十分ではなく家庭教師もしており
学校でも働いている。
1861年ラヒリ33歳の時ダンプールに勤務
この時ラニケットに転勤となる。
ここはヒマラヤの麓5900フィート(1800m)である。
余暇を利用してヒマラヤの中に踏み込んだラヒリはババジに出会ったとされる。
ここのところはラヒリの弟子であるスリユクテスワのさらに弟子の
パラマハンサ ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」で詳しく書かれています。
1868年11月23日40歳の時にインドのカシで家族と駐留することになる。
1886年58歳で退職し政府から年金を受給される。
1895年9月26日 67歳で没入
以上がよく知られているラヒリマハサヤの生涯です。
ここで大事なのは
ラヒリマハサヤがクリヤヨガ及びババジから受けた秘法を完全には伝えていないということです。
それはなぜなのでしょうか?
そのことについては 少しずつお話ししていきたいと思います。
そしてクリヤヨガの技法について
独習できる形で
今後公開を順次していきます。
なぜ今まで秘密とされてきたことを
私が公開するのか
その権利 権威はどこにあるのか
それについても
お話をしていきましょう。
マリアステファノ
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